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現実と夢と妄想を徒然と。 


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グロテスクについての考察
グロテスクについて、考えていた。

私の傾倒する趣向として、グロテスクを挙げることが出来る。特に、気持ち悪い生物や内臓の類には目がない。しかし、グロテスクは中々に定義が難しいものであるように思う。一体どこからがグロテスクと呼べるかの境界線が大変曖昧なのである。

例えば、ここに一つの肉塊があったとする。
ある人は、これを食用のおいしそうな肉と感じる。
ある人は、これを動物の死骸から剥ぎ取った生々しい肉と感じる。
同じ肉によっても見る人にとってその捉え方は違う。
ちなみに私は肉塊を見ると、シュヴァンクマイエルの影響で今にも踊りだしそうに見える。

見る人による解釈の違いなど、これに限らず様々な事物に起こりえることだが、ことグロテスクに関してはこの違いによる弊害が大きい。これらは見るものを不快にし、時には激しい精神的傷跡を刻み付けてしまうことも有り得るのだ。私にとってどんなに綺麗で美しいものであっても、人によっては汚らわしく気持ち悪いものなのだ。その判断が、とても難しい。


つまり何が言いたいのかといえば、今夏に採集した大量の蝉の抜け殻の写真をtwitterにアップしようかと思ったけれど、やめたという話です。
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