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現実と夢と妄想を徒然と。 


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実家に帰ってきてから、欠かさず犬の散歩に行っている。
昔は面倒くさがってちっとも行かなかったのに、なぜだろうと考える。

最初はずっと家に篭りきりでどこにも行かないのは不健康だし、少しは家のことをしないと気まずいからという理由だった。

でも今は、少し違う。
たぶん私は何か習慣が欲しかったのだと思う。
毎日夕方になると散歩に行って、ご飯をあげる。
ただ、それだけのことが今の私にはとても重要な習慣なのだ。

うちの犬はもう14歳の老犬だ。
付き合ってくれて、有難いと思う。
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ゆめにっき:肉片掃除
こんな夢を見た。

私は小学生だった。
クラスで遠足に行くことになり、私は気になっているK君と一緒の班になりたいと思っていた。
しかしくじ引きで決められた班の中に、K君の姿はなかった。とても残念だった。

遠足当日、私は後ろを気にしながら道路を歩いていた。
私の班はK君の班より前に出発したので、なるべく遅く歩いたら一緒にならないかなと思ったのだ。横断歩道に差し掛かったとき、信号が赤になった。
私はそこで止まって、やはりしきりに後ろを気にしていた。すると突然キキーッという音が鳴り響き、びっくりして振り返ると、ヤンキー風の男がバイクから放り出され、宙に舞うのを見た。根元が黒くなった汚いロングの金髪、まばらに生えた無精ひげ、人相の悪そうな顔立ちの男は間抜けな面をしながら、勢いよく地面に叩きつけられた。

衝撃で、男の体は原型をとどめないほどぐちゃぐちゃになっていた。
そこに先生が現れ、
「困りましたねえ。はーい、じゃあ皆さん、早くこの汚物を片付けちゃいましょうねー」と言った。
生徒たちは「えー」「気持ち悪い」と不平の声を漏らしたが、最終的にはしぶしぶと各自ビニール袋を持ってかつて男だったモノの周りに集まった。
私は横断歩道の前から動けなかった。しかし先生に「ほら、ちゃんと片付けないとご近所の迷惑だろう」と怒られ、みんなと同じように肉片を拾い始めた。

みんなは比較的原型を保っている指や足などを「うへー」とか言いながら拾っていた。
グロテスクに変形した顔のほうは、誰も手をつけなかった。
そこで友達が「あんたグロいの好きだったでしょ。あの辺拾っちゃってよ」と言った。
すると周りも同調し「すごい、グロいの平気なんだ。よろしく頼むよ」などと懇願してきた。
私は内心嫌だ、と思ったのだが、みんなの期待を裏切りたくないと思い、比較的拾いやすそうな舌を拾い始めた。舌はバイク事故で損傷したとは思えないほどきれいにスライスされていて、まるで牛タンのようだった。私は何だか少しおいしそうだ、と思ったあと、そう思った自分を心底軽蔑した。



ああ、こんなところをK君に見られたら嫌だなあと思った。
こんな喜々として肉片を拾っているところを見られたら、絶対嫌われてしまう。
しかしそんな思いとは裏腹に、私は段々とこの作業が楽しくなってきていた。
滴る血肉に歓喜を覚え、それらを弄んだ。転がっていた目玉を潰してみたりした。
私は快楽すら感じ始めていた。

そこへ、K君がやってきた。
途端、我に帰った。K君は恐怖と軽蔑が入り混じったような視線を私に投げかけて、そそくさと通り過ぎていった。

私はいたたまれなくなって、思わず死体の顔を踏み潰した。
先生に怒られた。










引越し
何だかんだで、引越しは無事終了し、千葉にある実家へ戻ってきました。
本当に、何もかもがあっという間です。

今はといえば典型的なニートの生活を送っています。
毎日何をするでもなく、ひたすら家でごろごろとしている。
何かしなければいけないとわかっているのに、怖くて(いや、怠惰かもしれない)何にも手をつけられない。就職活動も、バイト探しもしていない。
それでも家族には心配をかけないよう、必死に笑顔を貼り付けている。

しかしそれが、親にとってはへらへらと楽観的に何も考えていないように見えるらしい。
この暗く淀んだ感情が露呈していないことに安心すると共に、わかってくれない悔しさが私の中で矛盾となって渦巻く。

実家に帰ってきて、気持ちが軽くなったことは事実だ。
それなのに、いつまでも胸の奥にどす黒く固まったこの気持ちが晴れることはない。
何をしても、結局うまくいかないのだろう。










近況
ここ数日、とても楽しかったのだ。

花見に行ったり、お別れ会の飲みを開いてもらったり、カラオケ行ったり、友人たちが家に泊まりにきたりした。

それに生活リズムも大分正常に戻り、朝日が昇ってから寝る生活から、昼には起きる生活になってきた。(まだ朝には起きれない)

暖かくなってきたせいなのか気持ちも軽い。
あんなに鬱々と悩んでいたのが嘘のようなのだ。


だから、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
私が散々苦しんでいたことはこんなに簡単に解決してしまうものなのだろうか。
それとも何も考えないようにして、ただ逃げているだけなのだろうか。

もうすぐで引っ越しだ。
それまでに決めなければいけない。

どうしたらいいのだろう。











スーパー迷子


スーパーに行くと、不意に言いようのない不安に襲われることがある。

自分が何をしたいのか、何を買えばいいのかわからなくなり、ひたすらうろうろとする。
店内の安っぽいBGMがぐあんぐあんと頭に響き渡る。
周りの人々の存在感が薄れ、しまいには自分の存在でさえも不安定になっていく。

孤独と寂寥と、既視感が入り交じったような感覚。


この感覚は迷子に似ているのだ、と今日思った。










エイプリル
いよいよ4月。
就職した同級生たちは不安と期待に胸膨らませながら社会人としての一歩を歩み始めたようです。私はと言えば今日から立派なニートです。バイトもやめたのでフリーターでもない。


今日は一日引っ越しの準備やら何やらをしていました。
物が増えすぎて色々と大変そうです。

風邪をひいてとてもつらい。
でも頑張って生きていこうとおもいます。

嘘です。










TAMAZOO
多摩動物公園に行ってきた。
昆虫館ではしゃぎすぎて動物がそんなに見れなかったけどとても楽しかった。
しかしお目当てのウォンバットが見れなかったのでショック。

ウォンバットかわいいよウォンバット。



(インターネットより引用)

あとカワウソとモグラの魅力にも目覚めた。
生き物すきだ。

帰りに飲みに行ったのだけど、将来のことを自虐的に語っていたら友達に慰められて思わず泣いてしまった。
自分で自分にびっくりした。人前で泣いたのなんて高3のとき予備校の先生の前で以来だ。涙腺が極端に緩くなっている。さっきもまた一人でぽろぽろ泣いてしまった。

私はこんなにいい友達をもっているのに、何で毎日が楽しくないのだろう。
どうしてこんなに全ての感情が乾ききっているのだろう。

そんなことを思いつつ、二度目の満月を見上げながら帰路についた。











ゆめにっき:エレベーター電車
こんな夢を見た。

旅行から帰る途中、私たちはエレベーターに乗った。私がふざけて扉が閉まる瞬間に開ボタンを押してみると、扉がガーッと横にスライドし、止まらなくなった。

外にもでれないしどうしようと言っていると掃除のおばちゃんが現れてほうきでスライドを止めてくれた。するとその瞬間エレベーターは横に滑っていき、いつの間にか線路の上を走っていた。しばらく走るうちにだんだん壁の部分がはがれていき、夜の海が見えた。



ガタンゴトンと言う音が、しんと静まりかえった海に響く。
みんなでここはどこだろう、と言っているとおばちゃんが「今私たちは中央線を走っていて、ここは新宿だ」と教えてくれた。
たった数分しか走ってないのにもう新宿かと納得しかけたが、新宿には海がないことに気づきおばちゃんに言うと、「それでもここは新宿だよ」と言っていた。

しばらく走っていると、どろどろの泥道についた。ここは学校の通学路のようで、友人たちがたくさん歩いていた。この頃にはエレベーターの壁は全て剥がれ、私たちは鉄の金網のようなものの上に乗っていた。隙間からは泥がどんどん入ってきて、おばちゃんは一生懸命後ろから押してくれていた。それを見ていた同級生たちがおばちゃんが可哀想だと騒ぎ始め、私たちに泥玉をぶつけてきた。

しょうがないので私たちは金網から降りて、みんなでそれを背負って帰った。



旅行から帰る途中のバスの中で見た夢。










高山と白川郷と金沢と
大学の仲のいい三人で23〜25日の二泊三日で卒業旅行に行ってきた。
あいにくの雨でめちゃくちゃ寒かった。

まずは高山。
高山ラーメン食べて酒買ってあべかわ餅食べてパズルした。

次に白川郷。



世界遺産に指定されている合掌造り集落。
しかし私たちは聖地巡礼と言うかなり不純な動機で行きました。

孫右エ門という民宿に泊まったのだけど、雰囲気よいしお家の人も優しいしご飯も最高においしかった。




白川郷は朴葉味噌という甘い味噌が有名らしく、それがとてもおいしい。ご飯何杯でもいける。おいしすぎてお土産にも買った。

トイデジをなくすという痛手はあったものの、白川郷はとてもよいところだった。
いつか夏に行きたいな。

最後に金沢。
着いて宿に荷物を置いたあとすぐに香林坊の繁華街へ。
汁べゑという居酒屋に入ったのだけど、ここもとてもおいしかった。
食べすぎたし飲みすぎた。今回の旅は何ともグルメだ。

その後カラオケへ。何で旅行でカラオケだという感じだけど。
ここで友達の一人が現地で知り合った男の子に会いにいってしまったので、もう一人と共に宿に帰った。何だかせっかくの旅行なのに寂しすぎて色々暴言を吐いてしまった。
本当に私は嫌なやつすぎる。友達の幸せも願えないのか。
自己嫌悪を引きづりながら、寝た。

次の日は近江市場のひら井で海鮮丼を食べた。魚そんな好きではないけど、うまし。
ここで友達が昨日渡せなかったから、と大学一年からの写真を集めたアルバムをくれた。
とても嬉しかった。きのう嫌な態度をとってしまった自分が、本当に惨めに思った。

その後は金沢21世紀美術館に行った。なんだこのおしゃれ空間は。



ちょうど展示移行期間だったらしく、お目当てのものが全然見れなくて軽くショックだった。そのかわり変な写真を撮りまくって馬鹿みたいにはしゃいだ。

兼六園とかも行きたかったけど、本当に寒すぎて死にそうだったので駅に戻ってお土産買ってご飯食べたりした。そこで食べた金沢名物ハントンライスがめちゃうま。



そしてなぜかまたカラオケ行って帰宅。
楽しかったです。










卒業式
今日は風がとても強い。
人のうなり声のような音が響き、アパートが軋んで揺れる。
もう、すっかり春だ。

というわけで、卒業式が無事終了しました。
卒業式では火が噴いたりチンドン屋がきたり校歌がラテンでサンバだったり紙吹雪が舞ったりしましたが、半分以上寝てました。

みんな綺麗で幸せそうで何だか嬉しい気持ちとうらやましい気持ちが入り交じりました。
謝恩会なんかはとても楽しかったけれど、心から楽しめなかったことが歯がゆいです。
あと、ヒールの靴は履くものではない。

何だか色々あったけれど、私の学生生活もこれにて終了です。
就職活動は、はっきり言って今は何もしていない。
親には受け続けていると嘘をついた。
本当は、日がな一日パソコンの前に座っているだけ。
未来はない。


風が強すぎて、何だかとても心がざわざわする。
この先一体どうなるんだろう。











ぐるぐるぐる
ぐるぐると色々なことを考えていたら、寝れなかった。
あと一時間半で学校に行かなくては。ねむい。



卒業おめでとう。笑え。










卒業前日
なんと明日で卒業です。何が何だかいつの間にやらです。

とりあえず四年間を振り返ってみると。

一年生のときは、とにかく大学生になろうと必死だった。
全く知り合いがいない中で、頑張って友達をつくろうと新しい自分をつくった。
それに課題が大変だった。毎日毎日ぐるぐると色んなことを考えていた。
はじめて本気で死にたいと思った。中央線が怖かった。

二年生のときは、はじめての一人暮らしで自分だけの空間が持てたことが嬉しかった。
バンドも頑張ったし、学校が近くなって友達ともやっと少し素直に話せるようになってきた。アニメに興味を持ち始めて、変な方向に進み始めた。一番安定していて、退屈な年だった。

三年生のときは、学校に行くことも少なくなり家に引きこもりがちになった。新しいバイトをはじめて、今までで一番居心地がよかった。バイトの人達とよく遊んだ。映画
をよく見るようになった。自主映画を撮り始めた。外に出ようと必死だった。

四年生のときは、本当に人との交流が減った。一週間家から出ないこともあった。毎日毎日何かに追いつめられて、焦っていた。秋ぐらいからは他人が怖くなって、より一層内にこもるようになった。自分のだめさに失望し、何もする気がなくなった。眠らなくなった。生きていたくないと思った。やり残した事だらけだった。


こうしてみると、どんどん下降している。
あれをやればよかった、もっと頑張ればよかったと思うことは数知れず。
四年間というのはとても長く、とても短い。

いろいろな思いが渦巻いて沈殿していくけれど、何はともあれ卒業です。
私はきっとこの美大に来たからこそ無事に大学生活を送れたし、抱えないで済んだ思いを抱えてしまったのでしょう。それは自分の責任であり、願いでもあった。

ああ、何だかとても悲しいなぁ。寂しいなぁ。

小中高のときの卒業とは、何かが根本的に違う。
友達と離れるのが寂しいからだろうか。将来に希望がないからだろうか。

よくわからない。
でも明日は笑おうと思う。
しっかり、笑って、卒業しようと思う。










新潟旅行紀


サークルのみんなで新潟に行ってきた。
苗場でスノボをしたりしました。久しぶりの運動で少々不安だったけど、何とか滑れた。
時間が足りなくて頂上まで行けなかったのが残念。

この日は新潟にある友達の実家に泊まったのだけど、そこがとても広くてびっくしりした。
何だかうちが恥ずかしくなるくらいすごかった。
家族の方もみんな優しくて、友達が育った環境にいるということに何だかむずがゆくなってしまった。あと米がおいしかった。

2日目は本当に無計画だったのでとりあえず温泉に行くことに。



ほくほく線でゆめぞらという列車に乗ったのだけど、その電車がすごかった。
長いトンネルに入ると、照明が消えて天井に映像が流れるのです。
この映像がなんともシュールででも綺麗で面白かった!
こういうのがもっと増えると楽しいなー東京でやったら大変そうだけど。

まつだいという駅に降りると、何だか近くの体育館でイベントをやっているらしいので何となく行ってみることに。そしたらそれが結構大きなイベント(冬の陣というらしい)で、アウェーながらも思いがけず楽しめた。屋台とか踊りとか神輿とかかまくらとか。雪国の子どもはめんこい。



そんなこんなで温泉にも入り、帰宅。
やっぱり旅行は楽しい。好きな人たちといく旅行はもっと楽しい。
もう、こんなにみんなで集まることはないのだろうなと思うと寂しい。

またいつか、みんなでどこかに行けたらいいなと思う。










ゆめにっき:パソコンの中の光る卵
こんな夢を見た。

私は父のバイクの後ろに乗っていた。
他の家族は先に車で行ってしまったので、追いつこうと父はスピードをあげた。
こんなにスピードを出して大丈夫かと聞くと、平気平気、という答えが帰ってきたが、案の定カーブを曲がりきれず、崖の下に落ちてしまった。

崖と言ってもそんなに高いものではなく、生えていた大きな木の枝につかまって私たちは助かることが出来た。しかしバイクは崖の下の墓地に落ちていってしまった。

二人で墓地までバイクを取りにいき、点検していると老婆が向こうからやってきた。
何だか怪しい感じで、こちらをじろじろと見たかと思うとにやり、と不気味に笑った。
すると突然地面に穴があき、私たちはバイクもろとも落ちてしまった。

落ちながら、私はバイクにしっかりと掴まろうとした。父もバイクを掴んでいた。
そしてなぜだか段々と自分の身体が小さくなっていくのを感じた。



どしん、という衝撃と共に、私はとても狭い空間に落ちた。
青白い光に包まれたその空間は縦に長く、人一人がようやく収まる程度のスペースだった。私は、なぜかここはパソコンの中だとわかった。そこに父やバイクの姿はなかった。

壁の向こうから、だれかの笑う声が聞こえた。どうやら大学の友達のようだ。
結構な人数がいるようで、私はそちらが羨ましくなったが出入り口がないのでどうしようもなかった。

ふと、端の方に青白く光る光源があることに気づいた。
よく見ると机の上に10個くらいの少し大きめの卵がきれいにならべてあり、それが光を放っているのだった。
卵にはひとつひとつに絵が描かれていて、まるでイースタ−エッグのようだった。
机の上には色とりどりのペンが置いてあり、私も卵に絵を描こうと思った。
しかし、並べてある卵には全てすでに絵が描かれていて、もう私の描ける卵はなかった。



私は何だかくやしくなって、全ての卵を割った。
その間も、隣では楽しそうな笑い声が響いていた。










無題
ここ数日で、とにかく色々なことを考えた。

また、面接で落ちた。久々の、ほんとうに行きたいところだった。
そのとき、はっきりと才能も技術もないと言われた。
私には本当に何もないのだ、ということを思い知った。


私は人に頼ることが嫌いだ。というより、苦手だ。
人にものを頼む時、断られたらどうしよう、嫌いになられたらどうしようと思う。
どれだけ親しくなっても、この感情だけは消せない。
だから友人を少し遊びに誘うだけでも、ものすごく緊張する。
自分の為に人の時間を奪う、ということがとても申し訳なく思う。
これは、私が無駄なことに時間を奪われることが嫌いだからだろう。
だから、無償で人の手伝いとかをしている人を見ると、えらいとか以前に不思議に思ってしまうのだ。

自分で何もかもしないと気が済まない性質なのもある。
何をつくるにしても、できるだけ一人で作業して、わからないことはとにかく自分で調べる。人に任せるとそれが自分の思っていたものと違っていたら嫌で、自分で全てやってしまうのだ。

自分は何でも出来ると思い込んでいた。
今までデザイン、絵画、音楽、自主映画、アニメーションと色々な物に手をつけてきて、それら全てを習得している気になっていた。
これだけの知識を持っていれば、必要な人間になれると思っていた。

でも、全ては中途半端。
自分にあると思っていた技術は全て上辺だけのもので、それを仕事にするようなところまでは到底追いついてないのだ。それには、うすうす気づいていた。
でも直せなかった。いつまでも色々なものにしがみついていた。

大学四年間でパソコンに詳しいわけでもない、デッサンがうまいわけでもない、知識が深いわけでもない、センスがあるわけでもない人間が出来上がっただけだった。
美大に入ったことを決して間違いだとは思わないけど、私の歩んできた道は間違いだらけだったのだろう。

ここで諦めるからいけないのだ、とは思うけど何だか疲れてしまった。
どうしたらいいのか、答えが出ない。










ゆめにっき:空に鉄板
こんな夢を見た。

学校の中を走っていた。
二時に待ち合わせをしているのに、なかなか待ち合わせ場所につかない。
しかも何だかよくわからない怪物が追いかけてくる。
私は必死に逃げて、学校の外に出た。

道路ぞいを走っていると、空き地の前に男の子がいた。
私は何となくやばいと思い、思い切り助走をつけてそのままふわり、と飛んだ。
飛んだ瞬間、男の子が私の携帯を握りしめているのが見えた。

そのまま高度があがっていく。
いつもならこのまま大気圏を抜けて宇宙までいけるはずだった。
しかしこの日は何故か空に鉄板が引かれ、私は雲より高いところまで行けなかった。

その日の空は妙なまでにきれいな色をしていたことを、よく覚えている。








助走をつけて飛ぶ、というのは私の夢の十八番でよく出てくるのだけど、鉄板に邪魔されるというのが始めてで、大変印象的な夢だった。










医学と断面
最近行った展示ふたつの感想。

「医学と芸術展」森美術館



私が行きたい、というとほぼ全員からあー好きそう、と言われたこの展示。
結果、予想していた以上によかった。

解剖図や医療器具はもちろんのこと、ブラザーズクエイの映像まであったのにはびっくりした。こんなにわくわくした展示は久しぶり。少しにやにやしていたかもしれない。全くもって怪しい。

一番のお気に入りはこれ。



象牙で出来た解剖模型。小さく胎児が入っているのが何とも可愛らしい。
この時代は、女の人の解剖図を描いたりつくるときはほとんどが腹部に胎児を宿した妊婦だったようです。普通にインテリアとして欲しい。

本当に、かなり私の趣味にマッチした展示でした。tumblrにアップしたいと思うものもかなりあった。図録欲しかったな。

ただ、私は森美術館があまり好きではない(立地や無駄な自動ドアなど)ので違うところでやってほしかった。でも無料で音声ガイド貸してくれるのはよかった。


次。

「束芋 断面の世代」横浜美術館



大好きな束芋さんの展示。原美術館のヨロヨロンが2006年だったから、4年ぶりか。
現在、アニメーション(といってもインスタレーションだけど)でこれだけでかい美術館で展示できるのは日本ではこの人くらいなのではないかなと思う。

今回の展示はほぼ新作で、映像5点と挿絵の展示だった。にっぽんシリーズとか古いのがなかったのが残念だったけど、新しいものも面白かった。でも全体的にボリュームが少なかったかな。もっと見たかった。

横浜美術館ははじめて行ったけど、広いし土曜なのにそんなに人も多くなくてよかった。収蔵作品もダリとかマグリットとかシュールレアリズムのものが多くて興奮した。



最近全然美術館というものに行っていなかったけど、久しぶりに行ったものが面白かったのでまたどんどん行くようにしたいと思う。どこかで、大規模なシュールレアリズム展やってくれないかな。










話し合い
実家に帰って親と今後について話し合いをしてきた。
しかし話し合い、というよりは私がわんわん泣いて親が妥協した、という感じだった。
自分でも、どうしてあんなに泣いてしまったのかわからない。

結果的に泣くだろうなとは思っていたけど、話し合い開始十秒後にはもう泣いていたのには我ながらびっくりした。
ここ最近涙腺が弱くなるばかりだったけど、こうまでとは。

多分親は色々と私に言うつもりだったのだろうけど、私が泣いてまともに話ができない状態だったので折れたのだと思う。またこのパターンになってしまった。いつだって、そうなのだ。そして私はそれに甘えている。

結局、三月いっぱいは就活を続けて、四月まで今のアパートに残ることになった。
就職が決まれば良し、決まらなければ実家へ帰る。
親はもう帰ってくること前提で話していたけれど。

要は、逃げ道をつくったようなものだ。
でも何だか少しほっとした気がする。逃げ道があるというのは、大切だ。

ついに三月になって、残り一ヶ月で就職が決まるかはわからない。
でも最後まであがかなくては、逃げ道へも逃げられない。

一ヶ月後、自分はどういう気持ちでいるんだろう。見当もつかない。










霧につつまれたハリネズミ
今日は友達と遊んでラーメン食べたり、カラオケに行ったり、旅行の計画たてたり、引っ越しの人からインスタント食を分けてもらったりとなかなか充実した日でした。

というか、いつもが何もしてなさすぎなのだけれど。

そして友達の話を聞いて、明日はハローワーク行ってみることにした。
怖いけど頑張ろう。就職する。




待ち合わせ前に何となくヴィレバンに行ったら霧につつまれたハリネズミのこぐまくんのぬいぐるみを見つけ、一目惚れ購入。元から持っていたハリネズミと一緒に撮影してみた。

霧につつまれたハリネズミはアニメーション作家ユーリ・ノルシュテイン氏のアニメーションで、私をアートアニメーションの世界に引きずり込んだとても魅力的な作品です。彼の作品はかわいいし、綺麗だし、おもしろい。

やっぱり私はアートアニメーション好きだし、自分でつくっていきたいと思う。
どんな仕事についても、この気持ちを忘れないようにしたい。










ゆめにっき:葬式隕石
こんな夢を見た。

祖父の葬儀をしていた。
どこかの大きなお寺から移動し、葬列は大きな原っぱに着いた。
原っぱの真ん中には祭壇のようなものがつくられ、それをみんなで囲んで儀式のようなものをした。

するといきなり大きなごごごごという音がし、かなり大きな隕石が落ちてきた。
隕石は私たちのいる原っぱからかなり遠い都心部に落ちたので、みんなは大丈夫だろう、と言っていたが私は一人で慌てた。あんな大きな隕石なら、必ずこちらにも被害がくる。



やはり、まずは大きな火の粉のようなものが飛んできた。
火の粉はものすごい早さな上に予想外の動きをし、原っぱの中を縦横無尽に動き回った。阿鼻叫喚の悲鳴が響き、本当に死ぬかと思ったけどみんな無事だった。

次にかなり分厚そうな砂嵐がきた。今度こそだめだ、と思ったら以外と薄く、数秒息を止めていたら何とかなった。

舞台はいつの間にか祖母宅に移り、そこにも何回か砂嵐が襲ったがみんなで毛布をかぶって耐えていたら最後の一波が終わったようだった。みんなは落ち着きを取り戻し、思い思いのときを過ごした。しかし私は思った。この後、もっとすごい何かがくるのではないかと。

私は母と祖母に「この後どうするの?ここに残るの?それともこの家を捨ててもっと遠くに逃げるの?」と聞いた。すると母は「一休みしたら、遠くに行くよ。ここもじきにだめになるから」と言った。祖母はとても悲しそうな顔をして、「この家ともお別れだねぇ」と言っていた。

ふと、母は飲みかけの瓶牛乳を指差し、私にあんたこれ飲まないの?と言った。
牛乳の中は砂まみれで、いやそれはさすがに飲まないよ、と言ったらじゃあ洗っておいてと言われたので私は牛乳を持って台所に向かった。

台所で瓶を洗いながら先ほどの祖母の表情を思い出していると、涙がぽろぽろと出てきた。この先どうなるんだろう、と不安に思うと同時に、少しわくわくしていた自分に嫌気がさし、涙は止まらなかった。










ついに
親のメールを無視し続けたら、電話がきた。

今度実家に帰って自分がどうしたいか説明しろ、と言われた。
自分がどうしたいかなんて自分が一番わからないのに、どう説明すればよいのか。

いや、どうしたいかなんてわかっている。
ただそれが受け入れられないんだ。だれにも。
みんな呆れた目で私を見る。私はそれでも意地になってしがみつく。
ニートの完成。


何で人に会う前に限って号泣してしまうのか。
腫れぼったく赤い目が、醜い私を更に醜くしている。


どうすればいいのか、誰も教えてはくれない。












最近
みんなの幸せを願う自分と、みんなの不幸を願う自分が、同時に存在することにどうしようもない違和感を覚える。










アバター


今話題の映画、アバター観てきました。
3D超大作映画らしく、朝10時からの回がほぼ満席で危うく観れないとこでした。
何とか前の方に座れたけど、途中肩痛くてしょうがなかった。

予告編がめちゃくちゃつまらなそうだったのであまり期待はしてなかったけど、思ったよりは面白かったです。最初は3Dに感動したけど、見ているうちに慣れた。
内容はハリウッドの王道展開で展開は予想通りだったけど、画面がきれいでした。
植物とか生物とかの描写が良かった。青い人達は見ているうちにかわいく見えてきた。

しかしあれは映画館で観なきゃ全く意味のない映画だと思う。
できればIMAXで観たかったな。



その後卒業式の袴予約しに行ったり、ゼミ飲み行ったりした。
袴は矢絣にしてみた。レトロなかんじでよいです。
袴着てると、弓道部だった頃を思い出す。もう高校卒業してから四年か。

ゼミ飲みは前日の無駄な徹夜が響いてめちゃくちゃ眠かった。
寝れるときに寝ておいた方が良いという教訓を得ました。











ゆめ
卒制が終わって一週間…完全にだらけている。
一日12時間は寝ています。しかも朝型人間になると宣言しておきながら、未だに日の光を拝むことがない。

こんなに寝ていると、本当にたくさんの夢を見る。
ちゃんと覚えてるときだけブログに書いているけど、大抵はぼんやり覚えている程度なので、ブログに書いている数十倍は夢を見ている。多いときは一回の睡眠で5本だてくらいの夢になり、現実と夢の区別がつかなくなることもある。

しかし、私は今夢を見ているときが一番楽しい。
夢の中の私は非現実の世界にいたり、幸せなときを過ごして幸せそうだ。
苦しい目にあっていても、生き生きとしている。

こんな夢を見た後、私は何だか悲しくなる。
夢と現実とを比べてはいけない。



最近また、フリーゲームの「ゆめにっき」をやっている。延々と夢の中を歩くだけだけど、楽しいよ、あれ。このブログでつけている「ゆめにっき」の元ネタです。(ちなみに、「こんな夢を見た。」は夏目漱石の夢十夜からだけど、きっとそんなこと誰も気にしてはいない。)
私の見ている夢は、結構あんな感じに近いかもしれない。もっと現実的だけどね。


何を言いたいかというと、あまり夢を見すぎると、このゲームの主人公みたいになってしまいそうでこわいって話です。











ゆめにっき:兄氷
こんな夢を見た。

私は母の実家に来ていた。
母の実家はとても田舎で、森の中を通って行かなければならなかった。
着いてすぐ、私はとても暇だったので散歩に出ることにした。

森の中を歩いて行くと、朽ち果てた家が立ち並ぶ、廃村のようなものがあった。
しかし、何だか家の中にはだれかのいる気配がする、そんな気がした。
ふと、新聞が落ちているのに気づき読んでみると、そこにはこの村で娘が母を殺した事件があったという記事が載っていた。
私は気持ち悪くなってすぐにそこを離れた。

家に着くと、母は私に何処へ行っていたの、と聞いた。
私は川を下って行った、と言った。
すると、それじゃ遠回りだから、近道を教えてあげる、と母が言うので二人でまた出掛けた。

先ほどの廃村の前に来ると、先ほどまでいなかった記者たちが大勢いて、私と母にまでフラッシュを浴びせてきた。
いつの間にか廃村の土は真っ赤になっていて、かなり不気味な様相を呈していた。
私たちは急いでそこから離れた。
走り去る時、赤い頭巾をかぶった幸の薄そうな中年女が赤ん坊を背負って村の中へ入って行くのが見えた。



母は軽々と岩を飛び越えて急斜面の森の中を下って行く。
よく見ると母は私と同じくらいの年でとても若かった。
私はそのことは不思議には思わず、やっぱり田舎育ちは体力が違うな、と納得した。


ある日、喉が渇いたので台所に行くと母がソファで電話をしていて、ヒステリックな声を出して怒っていた。
横には私の妹二人が並んで、真剣に母と電話の主の話を聞いている。
私は何だろう、と思いながら冷蔵庫から氷を取り出してコップに入れようとした。

氷はよく見ると手のひらほどの大きさの、二人の少年の顔の形をしていた。
その時、母が電話を終え、「警察の奴ら、やっぱり殺人事件として扱うらしい」と吐き捨てるように言った。

そうだ、私の兄二人は、失踪していたのだということを思い出した。
彼らはハーフの双子でいつからかいなくなってしまい、警察による熱心な捜索が行われていた。以前は失踪事件として扱われていたが、捜査が殺人に切り替わるという旨を伝える電話だったらしい。

母はため息を吐きつつ「あの子たちはいなくなりたくていなくなったのだから殺人なんかじゃないのに、警察はわかってないわ」と言った。
私はその通りだよなあと思いながら、兄の顔の形をした氷をコップに入れ、オレンジジュースを注いだ。

冷凍庫の中にあった、兄の顔の皮は見なかったことにしよう、と思った。
















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